周りを気にせず自分に素直に生きる方法

哲学

できない理由探しに没頭している人へ捧げます。
そうした方が良いと分かっていながらそれができない人へ捧げます。

結論、できないのは貴方の責任でも貴方以外の責任でもありません。
本能がそうさせるのです。
お腹が空く、眠たくなるのと同じです。
人は、苦労せずとも生きられる状況において楽を選択してしまうのです。

そして、この「楽を選択する本能」と「刺激を求めるもう一つの本能」の板挟みになることで「退屈」「苦悩」「憎悪」「比較」「羨望」などを感じるのです。

どうすれば「退屈」「苦悩」などを感じなくなるか。
・現実を受け入れるのです。
・己の無知を受け入れて、無知の知に励むのです。

1日数分からでも構いません。
仕事や趣味と同じです。
行動(実体験)して無知の知に励みましょう。

人生において大事なのは、
・自立 :自分の責任で個人と個人が属する集団(2024年時点なら自然含む世界)の問題と向き合う=とにかく経験を積みましょう。経験豊富なベテランと新人どちらが充実していると思いますか?
・受容 :事実を受け入れる。世の中は思い通りにならないものだからです。無常無我の性質を理解しましょう。
・循環 :貪らない。貪欲が誰のためにもならない事実を受け入れましょう。均衡と統制=社会的ジレンマの解消です。故・山岸俊男先生(北海道大学教授)、ロバート・キーガン(ハーバード大学教授)

調べるのが第一歩です。気になることでもなんでもいいです。
テレビで気になったこと、友達との会話で気になったこと、なんだこれと対峙しましょう。
対話型のAIがなんにでも答えてくれる時代でもありますから、時間もかかりません。
自分のやりたいことが分からないのであれば、自分のやりたいことは何かを調べましょう。(自分とは何か、社会とは何か、生きるとは何か、苦悩とは何か、退屈とは何か、日本人とは何か、宗教とは何か、、)

~~以下は参考です。~~

知ることで大抵の悩みはなくなります。
むしろ知らないから不安に思う=苦悩するのです。
いかにして「未知」を「知」に変えるか。
ゲームを思い浮かべてください。
やっていたら勝手に「未知」が「知」になっているはずです。
気付いたら攻略サイトなどをみて情報収集をしているはずです。
この状態、性質を実生活の中で再現すればいいだけです。
仕事があるから、、自分には力がないから、、時間が、、環境が、、はずかしい、、
仕事は生活費を稼ぐ手段に過ぎません。
力がないのはやったことがないから当然です。
時間は作るものです。
悩めている時点であなたのおかれている環境は快適です。
やったことがないから恥ずかしくて当然です。慣れればなんてことないです。すべてに共通することです。

個性や価値観、環境に責任転嫁する前にみんなの共通点を理解してください。
それは生活即ち人生を構成する最低限の要素のことです。
・生まれる
・死ぬ
・絶滅しないように生を繋ぐ(物理、文化)
・生きるために生理的欲求を満たす
・社会の機能維持と繁栄のために社会的欲求を満たす
・生きるために非欲求を満たす
・退屈、苦悩ほかを味わうことがないように知的欲求を満たす
・貪りは全体にとって悪影響のため循環型社会を目指す
悩んでいるなら決めつける前に理解してください。
知らないから悩むだけです。
仕事や生活と同じ。
分からないから、できないからストレスに感じるだけ。
理解する、できるようになることでストレスはなくなります。

悩みのない人はいません。
人生とは、苦労せずとも生きられる状況(※)に限り、知の追求だから当然です。(知の追求=分からないことを調べる=悩み)

ただし放置していい問題もあります。
先に知的欲求、問題は放置しないほうがいいです。
なぜなら人生は知の追求だからです。
食べて体を変化(成長)させるように、知で頭を変化(成長)させるのです。
情報が普及していなかった時代であれば体(個人の成長と社会の規模拡大)の変化だけで良かったかもしれませんが、残念ながら便利になりすぎると体の変化だけでは物足りなくなります。正確には時間が余るのです。
自然と無意識に個人の知的欲求に取り組めている人は充実した日々を送るでしょう。それができない人はこの時間が退屈に感じてしまうのです。
当然、この仕組みを理解している人はいませんから、この状態は普通のこと。誰にでも当てはまること。当てはまらない人の方が特殊なんだ。私はやりたいことがないんですと。退屈な状況を受け入れて、受動欲求に流される退屈な日々を送ることになるのです。もちろん本人は充実させたいと思っています。でもそれができるのは一握りの人だけだと諦めているのです。
大人が知らないから子供たちが知ることもありません。(それなのに大人は子供たちができないことを子供たちの責任にしがちですが)

諦めないでください。
知らないだけです。
本能がそうさせるだけです。
時代(環境、快適な暮らし)がそうさせているのです。
快適が退屈を生んでいるのです。
知ってしまえば大した問題ではなかったことに気付けるでしょう。
ただ知るためには知る努力をしないといけません。

つまり、生死に関わる話は放置しない。
生死に関わらない話は放置してもいいということです。
仕事や人間関係は生死に繋がりません。
人それぞれ価値観は違うのでこれらが死活問題という人もいるでしょう。
そんなことはありません。自分の理想を求めるからそうなるのです。選ばなければ悩みの種になることはありません。
人間は社会的動物です。社会は個人で成り立ち、個人は社会で成り立っています。
社会的活動をしない個人で溢れかえった社会は淘汰されます。
つまり、社会活動(仕事)は、個人の生活のため、社会の存続のために必要不可欠なのです。
現代(本記事投稿時2024年)は何でもできます。コストをかけずにできます。仕事は避けては通れないから、本当にやりたいことは仕事以外の時間を使ってやればいいだけです。金になるかどうかなんて考えなくていいのです。本気でやっていれば結果はついてくるものです。最初から金になることなんてほんの一握りです。金持ちは金持ちだから金持ちなのではなく、実績を積んで結果が伴っているから金持ちなだけです。
何もやっていない人、自分のやりたいことが分からない人が大金を手にしたところで退屈な日々に変わりはありません。なぜなら自分の欲求が分かっていないからです。個人的知の追求ができていないからです。

できない理由を探すのではなくて少しずつでもいいから理解に努めてください。
面倒くさいことだが真の充実に苦悩や苦労は付きものなのです。
それ以前に生きていて面倒くさくないことなんて存在しないのです。
世の中には苦労せずとも手に入れられる幸せがありますこれに頼るのはナンセンスですか?という問いを受けることが多々あります。
ずばりナンセンスです。
それらは快楽をもたらしてくれますが一時的です。
必ず苦労する時が来ます。
なぜなら世の中は常に変化している且つ相互依存の関係にあるからです。
変化、社会に適応できないものは淘汰されます。
これも自然の理です。
それが分かれば苦労や面倒ごとに対するストレス負荷が軽くなるかもしれません。

※ 主に世界大戦後の20世紀以降 ≠ それ以前はエントロピー増大法則(無秩序に広がる風)の流れで、「自然界からの脱却→ 小規模コミュニティ規模→ 地域規模→ 国規模の勢力拡大」が人間にとっての最大の目標(生存戦略=種の存続と繁栄)だったため、苦労せずとも生きられる状況とは言えない。
即ちあれこれ考えて行動できないでいることは死に繋がるから、悩みが悩みを生む機会は20世紀以降と比べて少なかっただろう。そもそも快適度合(物、情報、個人の普及が進んでいない)が段違いだから、少ない選択肢の中でできることをやるしかなかったという状況。おかげで行動できたから悩みが悩みを生んで行動できないから精神を病んでしまうという状況に陥ることが少なかった。(現代人は動物園で飼われている動物と同じ状態。動物園の場合は檻によって物理的に自由を制限されているが、人間社会に檻はない。ルールやシステムはあるが自由になろうと思えばなれる。なのに自分で見えない檻を作っている。

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